
クリエイティブな業種の方って、常に流行などをチェックして自分磨きしてるんだと思いますが昨今いかがでしょうか?
さて、これを今読んでいる方が何歳なのかは分かりませんが例えば30代の方、10代の頃に比べて感受性が鈍っていると思ったことないですか?
10代の頃に感動した作品。今見るとさほどでも無かった・・みたいな。若者に人気のバンドや漫画、テレビで流れてる音楽は皆同じような曲調で感動がないなど。
特に「若いころに比べて感受性が無くなった」と少なくとも私は感じています。
歳を食うと感性の消化が早くなる
若い頃感動したものは「それが人生における初体験」の場合が多い。こんな曲聞いたことがない。こんな映像見たことがない。それが初めての体験だからこそ、体中で受け止められる。
しかし、歳をとり経験値が増えると「体験し終わったもの」と判断して感動すら覚えることは少ない。
本当にスゴイものかショボイものかは別として、受け取る網が破れているようにも感じられる。そう・・あまり感動しなくなったのだ。
前に書いた「でっ?ていう映像」も上記のような理由でそう思うのかもしれない。
しかし、元々縁の無かったファッション。
テレビ番組のファッション通信なんかを見ると私は感動する。そもそも普段着とはほど遠い服の羅列だが、服というものが着るだけの媒体とは違うということに感動する。
食もそうだ。今まで生きてきた大半、味など「うま味」さえあればなんだっていいと感じてた。でも腹を満たすこととは別の意味での食事「味を楽しむ」という世界があったことに感動した。 一応、30代後半の私でもまだまだ感動できる。
クリエイティビティの感性はどこから来るのか
クリエイターと言われる人種。デザイナー・アートディレクター・作家などおよそ無から有を生み出すことに長けている人種。
需要は不明だが、名乗っているだけの人から人気デザイナーまで幅広い。この方達はいかに創造のアイデアを出し続けているのか。
特に個人的に超人だと思う職種は「漫画家」だろう。わたしはそれこそ○ピースや○○の巨人は何も感じなかった。漫喫で読んでは見た。全然おもしろくないのだ。
キング○○も全然おもしろくない。それはいいとしてw、毎回物語を書くだけでも大変なのに絵も描いている。一人映画制作である(原作者やスタッフがいることを考えても)。
その創造の泉の源はどこから来るのか?泉ではなく溜め池だとしてもマネは難しい。
そんな時、ふとあの人の言葉が脳裏によみがえる・・。かの手塚治虫先生の言葉。
一流の漫画家になりたければ決して漫画から学んではいけない。一流の本を読み、一流の音楽を聴きなさい・・
この言葉には感性(センス)の全てが詰まってるかのように思える・・。
クリエイターたるもの感性への貪欲な姿勢は大切。だからといって闇雲に取り入れても感動できなければ意味がない。
経験してきたことは捨てられないが、一度ここらでフラットな視点でモノを見る目を養いたい。まだまだ若すぎることに気づいた。
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